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1ランク上の大学を勧められる二者面談にお呼ばれしませんか? - ロゴス進学ゼミナール

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私の息子は京大に入り大学院まで進みました。

今はエンジニアとして売り上げ規模1兆円の

1部上場企業で働いています。

私は岡山大学の法文学部在学中、4年生の秋に学生課の職員の勧めで

岡山の玉野市に造船所を持つ三井造船の面接をうけることになり、

急遽本社の最終面接に呼ばれました。

台風の中岡山から新幹線に乗って東京に行き、新橋の三井造船本社

本館で人事の役員面接を受けました。

帰りの交通費をもらってご機嫌で岡山に帰るとしばらくして正式な

採用通知が来て父母を安心させることが出来ました。

 

この会社は山下勇という有名な社長がいた会社で東大の工学部の

造船学科のエリートたちが自分のプライドと才能をかけて活躍する

会社でした。叔父の友人が大阪の三井造船大阪営業で働いたので

叔父。伯母も気持ちよく動いてくれたを今でも感謝しています。

入社してみると岡山大学の先輩が人事課長をしている千葉事業所に

配属されて1ヶ月独身寮にいました。

 

時間外は空手部にはいり最強に強い刈込3段の指導にもとで現場の

人間たちと交流を深めました。木更津の『~だっぺー』言葉にも

事業所の空気に慣れたころ大阪で労働裁判の担当が営業に転出する

からといわれて

大阪事業所(旧藤永田造船所)の勤労課に着任しました。

 

私が母が育った大阪で生活することとなったのがこういう

きっかけでした。

 

こう書くと順風満帆に見える私の経歴ですが、実は幼稚園、

小学校、中学校と島根大学教育学部附属に在籍していました。

成績はそこそこで、絵を描くのが得意な生徒でした。

あまりパットしなかったその中学時代のことですが、

数学が不振で内申の足を引っ張っていたのです。

1年で入部したサッカー部で余り身長が伸びずに思うような

活躍が出来なかったことやら、

中学校の中で火薬で遊んでいて怒られたりなどして、

色々と面白くない中学校生活を送っていたその負の総決算が

高校進学でした。

島根県の県庁所在地の松江に住みながら自転車で15分で通える

松江北校に出願できず、

安来高校という田舎の高校に通うことになったのです。

 

そこで、数学をやらねば将来はまた暗くなると悟った私は

中学のときに5分程度しやらなかった勉強量を30倍に増やしました。

学校の図書館で約40分間数学の教科書準拠問題集をやり、

18:30に帰宅、夕食を食べてから20:00から22:00まで

120分ひたすら数学の問題を解きました。

土日を除いて160分毎日この数学のノルマを達成したところ、

1学期の中間テストで数学がいきなり97点になりました。

母に報告すると大変喜んでくれました。

『あんたなら、出来るとおもてたわ!お母ちゃんの子やからな』

 

実は母は9人兄弟の8番目で一番年下の娘として『こいちゃん』と呼ばれ、

祖父、乾隆吉から溺愛され、

八尾中学から猛勉強をして陸軍士官学校に合格して軍人職業となった

祖父から風呂の中で学校の内容よりも1歩も2歩先に内容を知らされて

いたので学校成績は常に1番で、

大谷高等女学校に入学しても常に成績は1番、

常に級長をしていたそうです。

母の言葉は、両者の教育環境が違うのに同じ結果が出せるという無茶な

類推でしたが、

なぜかそれから調子が出てきた私は自信とプライドを持って勉学に励み、

校内では常に成績は1番でした。母の言葉の力は大きいものです!

 

その私が高3年生のときに受けた全国模試が実に出来が悪くって偏差値が42

ぐらいだったと記憶しています。

当時島根大学の文理学部公法担当の父は蛍雪時代の維持増刊号を首っ引きで

調べてくれました。

そして言いました。

『今のお前の成績だと合格できる国公立大学では秋田大学の鉱山学部と

静岡大学の農学部しかないみたいやな』

私は唖然として脳裏にある場面を思い浮かべました。

つるはしをももってヘルメットをかぶって坑道出働く自分の姿です。

一生この姿は絶対嫌だと否定して、脳裏から秋田大学を消し去りました。

 

しかし定期テストの勉強方法は実践していても、

範囲の指定されない大学受験の勉強方法については何も知りませんでした。

安来高校では3年前の先輩が島根大学に合格したのを最後に当時、

誰も国立大学に合格していない田舎のさえない高校だったのです。

私が選択した方法はラジオ講座のテキストを買って来て毎晩聞くことでした。

母も気を遣ってくれその夏市内に出来た予備校の夏期講習に参加させてくれました。

2年生のときの担任の松崎先生が無償で放課後集1回の数学の受験指導をしてくれました。

しかしいずれのやり方も私の偏差値を伸ばすのには役に立たなかったようです。

『合格から逆算して大きな得点源を一気に攻め落とす今のロゴスにやり方』で

『組織的体系的な合格戦略』を立てることは思いも及ばなかったのです。

そして予定通り不合格となりました。

 

次の手はもちろん浪人でした。

 

あこがれていた松江北校に入って東大、京大、医学部を狙う俊英の居並ぶ

松江北校の補習科で学んでいれば岡山大学は何とか合格できるだろうと

希望に胸を膨らませていました。

 

そして私の横に座った武田君が当に運命の人でした。

 

彼のアドバイスのおかげで1ヶ月で英語偏差値が76になってしまったのです。

自分の模試成績を見た後で、武田君がトイレに行った隙を見て彼の成績を

見たら英語の偏差値が68でした。

彼のアドバイスの通り『東大受験生のバイブル』をやった結果、

東大受験生よりも偏差値が8も上に上がってしまいました。

 

この成績を受けて母親が急遽二者面談に呼ばれました。

進路指導室で開口一番言われたそうです。

『吉井君は英語が得意ですね、

これが東大志願者の模試成績です。

こちらが阪大法学部志願者の模試成績です。

そしてこれが吉井君の模試成績です。

吉井君は数学がちょっと弱いのですけど、

他の教科はほとんど同じ偏差値ですよ。

英語は3人の中で1番です。

そしてこの偏差値なのに志望大学が岡山大学なんですねー。

お母さん、目標が低すぎます。

この際、志望大学を阪大に変えませんか。

もったいないですよ、こんな立派な成績を出しているのですから。

この3人はいつも仲良く勉強してる仲間のようですしね』

 

このときの母の喜びの気持ちは察するに余りあるものがあります。

でもほころびそうな顔でこう答えたそうです。

『そんな高い評価をしていただいてありがとうございます。

親としては嬉しいのは山々なのですが、

内の息子は一度岡山大学で失敗をしていますので口癖のように、

今度は絶対に合格するからねと申しまして、

毎日勉強に励んでいますんで、

私から補修科の先生が『阪大を受けてみいへんかと』言うて

くれはでるでといっても、

励みにはなっても志望は変えないと思います。

でも今日のありがたいお言葉は必ずそのまま息子に伝ます。』

 

そしてその話を聞いた私は、母の思った通りの返事をして、

迷いなく岡山大学を受検しました。

 

『合格しました』と補修科の先生たちに報告に行くと

握手された上に3回も飛び上がって

『よくやった、よくやった』と祝ってもらいました。

『君は上げ潮だったからねー、あれだけ伸びたらだれも止められない。

だから上げ潮なんだよー』

その時初めて先生たちの熱い気持ちが伝わってきました。

ですから今の私は同じ気持ちでお預かりした生徒さんには

必ず同じように接するようにしています。

もちろん夢の合格を実現することが最優先です。

この18年間ロゴス進学ゼミナールで

過去の自分が実現した奇跡上げ潮体験を生徒一人一人に実現

してきました。

昨年は史上空前の国立大学合格率86%を達成しました!

いや英語のこのやり方があれば当然の合格がと言えます。

かつて武田君が教えてくれた『東大受験生のバイブル』のエッセンスに

加えてさらに4つの問題集の易から難の問題群を追加したオリジナル

テキストを用意して『夢の合格を待つきみ』を待ちしています。

今の成績が偏差値30代でも40台でも合格する道はあります。

私が偏差値50代から76に上がった時のやり方をここに案内します。

門外不出のロゴスの名物講座を動画で即日配信します!

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