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大学受験が私に与えてくれたもの! - ロゴス進学ゼミナール

私、吉井健夫は現在大阪の南部にある藤井寺という町の駅前で

『京大、阪大、医学部に強いロゴス進学ゼミナール』

という大学進学と中高一貫生の内部進学を専門とする

個別指導の小さな進学塾を営んで19年目です。

                            

 実は統計によりますと設立して20年維持できる会社が0.34%と聴きましたので、

もう少しがんばってそれに挑戦したいと思っています。                                                                                         

私が勉強を教えてE判定からの大逆転合格者を輩出できるようになったのも

私自身の勉強の経験を生かすことが出来たからです。

私は島根大学教育学部附属中学時代に熱心に勉強に取り組めなかったので

成績は下でした。

3月生まれですから背丈の低く、

サッカー部に入部しても大人の中の子供のような頼りない存在で、

縦も横もコミュニケーションが無くすぐにやめてしまいました。

次に好きな絵を描こうとして美術部に入ったのですが、

いきなり粘土をこねて焼き物をつくろうといわれて辞退しました。 

プラモデルが好きで制作途上で頻繁に塗料のシンナーを吸っていた

のも悪影響があったと思います。

ある意味で逆境の時代でした。

考えてみると石橋町にあった一戸建ての官舎が良くない環境でした。                                      

そういえば、私たち家族の前に住んでいた同期の杉本さんも

病弱で学校を休みがちな様子でした。                            

冬は北に面する田から風が吹く北風はただそれだけでしたが、

春を迎えると東風の風が吹くと最悪の環境に変わるのでした。       

 家の南には山がありその向こうに養鶏をしている農家がありました。                           南の風が吹くとさまざまな山の植物の花粉が舞って3月~4月鼻かぜに襲われるのです。                                  さらに鶏糞の匂いが飛んで着ました。              

当時は花粉症という概念がなく、                                       微熱と鼻水が出て頭がボーっとすると医者に訴えると                                      『軽いかぜでしょう。』                                           といって風邪薬を処方してくれるのですが、                                                                                        薬を飲んで家で寝ていると全然症状が治まらず                                                    1ヶ月近くも学校を休んだことがあります。                                   この時期中学では因数分解を教えていたようで登校を再開すると                                                    数学が何もわからない状態になっていました。                                                         そして母が医者に息子は平素から鼻水が止まらないと訴えると                                                     『蓄膿症の手術をしましょう』                                                               と提案されたそうです。                                                                                            

そこで、どんな手術するのかと母に尋ねると

『上唇と上の歯茎の間を切開し、その隙間から膿を吸い出すのだよ』                                              といわれました。                                                             

話を聴くだけで恐怖が走り、絶対嫌だと言って逃げ回っていました。                                                

この官舎の立地のせいで弟は春は慢性鼻炎になり

1日でティシューペーパーの箱を2箱消費していました。

                                                                  姉もややこしい病気にかかって                                                            2週間くらい床に就いたままになったことがありました。 

これは私が中学生のころの家族写真です。

                                                         私は勉学に励む代わりに,                                          火薬遊びなどでいたずらして、                                              さらに内申の評価を落とし安来高校に通いました。                                 

当時、(今も)山陰本線はまだ単線でしかたら                                    1時間に1本しか通学列車がないので、                                             

放課後40分図書館で数学の問題集を解くことを日課にしました。

そして夜は20:00から21:00まで数学の復習をやり、

21:00から22:00までは他の教科の予習に当てました。  

 中学生のときは1日に5分やるかやらないかの勉強時間が、                          高校になっていきなり2時間40分になりました。                                          

実に32倍の勉強量アップでした。                                                          

効果はすぐに出ました。                                             

高1の中間テストで数学が97点でした。

成績がよい順番に返却する主義の先生でしたので、                                          

その後ずっと1番は維持しました。

そうなると他の教科も自然と1番になりました。                                              

しかし、

大学合格実績のない安来高校の定期テストでの1番は、

やはりそれだけのものでした。                                  

高校3年で全国模試を受けると偏差値が45くらいしかありませんでした。 

                                                                   高校生の私は、定期テストの勉強は出来ても、

大学受験の勉強のやり方が判らなかったのです。 

                                                                             そこで大学教授島根で憲法・行政法を教えていた父が

『蛍雪時代の臨時増刊号を買って来い』と言いました。                  そして私の偏差値で行ける大学を探してくれました。                          

『お前の偏差値だとここだな。                                                       つまり秋田大学の鉱山学部、                                

それと静岡大学の農学部だな。』                               

アドバイスはこれだけでした。   

                                     

大学教授は大学生を教えることは出来ても、                            

偏差値45の生徒を国立大学に合格させる大学受験指導は出来なかったのですね。                                                   

当然といえば当然ですが。 

                                     

私は一瞬、ランプをてっぺんに乗せたヘルメットを頭にかぶり、

つるはしを持って鉱山の採掘現場で働く                         自分の姿を想像してしまいました。                                 

 がしかし、                                               こんなことを一生やるっていうのは真っ平ご念だと全否定しました。                                                 あとは当時、人気だったラジオ講座をやろうと思い立ち、

父におねだりして最新式のかこいいラジオを買ってもらいました。  

そして毎晩のように講師の先生方の名調子を聞いて喜んでいました。                                              が成績はさっぱり上がらずじまいでした。                          

結局、秋田大学は拒否して、                                   

 前期日程は岡山大学の法文学部、                              

 後期日程は静岡大学の農学部を受験しました。                       

その後『サクラチル』の電報を2回もらい、                         

見事に落ちました。    

                                                               それから松江北高の補習科の入学試験を受けて入学を許され、                                            なつかしい附属中学の仲間たちと再会しました。

                                                                        東大理Ⅲをけって慶応大学医学に進学した故南君が私の姿を見て

『吉井、背が伸びたねー』と声かけてを覚えています。

                                                                      私は文系のクラスでしたので藤原君も声をかけてくれました。

理系クラスには富岡君もいました。                       

なかでも左となりの席に座った武田君と

前の席の松田君とは世界史の1問1答えの問題をやったりして仲良くなりました。                    

10月なって武田君がいつになく真剣な顔で言いました。                                        『吉井ちゃんはまだ岡山大学を目標にしてるの?』                                              『うん、一度落ちたから今度は合格したいからね』                                             『そうか、でもね僕は東大法学部を狙っているんだよね、                                           そして松ちゃんは阪大法学部なんだよ。                                                     いままで一緒にやってきてもう吉井ちゃんの実力判ってきたから言うけどね、                                         僕と一緒にがんばって東大を受けようよ。』                                                    この提案には驚きました。                                                                そこで                                                                     『僕が東大受けても無理だって、2浪するのは嫌だな』                            『ははは、                                                                     吉井ちゃんはきっとそういうと思ってさ、                                                      今日はこれもってきたんだよ。                                                          東大受験生のバイブルといわれてる                                                          江川泰一朗先生の英文文法解説だよ。                                                      これを貸すからやってみなよー。』


『エー、ありがとう。でもこんな分厚いのやったことないし、                                             やっぱ無理だよ。                                                                                悪いけど返すよ。』                                              

とやり取りした記憶が今でも新鮮な状態で頭脳に入っています。その日、                                         補習科の帰り道、                                               殿町の今井書店に寄って                                                                 江川泰一朗先生の英文文法解説が本棚のあるのを確認して、                                     帰宅後、母に言いました。

                                                                           『東大を受験する友達が、いい参考書を教えてくれたけど高くて買えなかったんだ。』                                

台所仕事をしていた母がすぐに振り向くなりいいました。                              

『それいくらなの?お金わたすから今すぐ買って来なさい。』

『1750円だよ』                                          

『えっいいの?じゃ勝ってくるわー』  

                         

ということで、                                        

これが転機で成績が急上昇するとは思ってもいませんでした。                         手に入れた参考書が分厚すぎて、                               

どこからやって良いのやら全然わからなかったので、                       

とりあえず第1章の                                     

面白くもない名詞から始めました。                               

我慢して辞書の記述のような無味乾燥な名詞の分類を2日間読みました。                                             すると3日目になると                                        

第三節:日本語と異なる名詞の用法                              

1)無生物主語、                                        

  (2)名詞構文、                                     

 (3)名詞中心の表現                                        

 25ページから40ページまで                               

 章末の練習問題も含めて                                

 2日間で完結しました。                                              パッと目の前が明るくなったような達成感とすがすがしさが私を包みました。                                           模範解答の不備を指摘できるレベルに緒アップしてました。                            そして10月の模試が11月に返却されました。                                      英語の偏差値が76でした、                                       

 隣の武田君がトイレに入っている間に返却データを盗み見すると

彼の英語偏差値は68でした。                                   

 出藍の誉れでした。                                      

これを受けて母が進路指導室の先生から二者面談に呼ばれました。                        

                                                                                      母の目の前で     

                                      

私の模試データ、                                      

 東大志願者(武田君)のデータ、                                    

阪大志願者のデータを                                     

並べて見せられて、                                      

先生から言われたそうです。                                   

『吉井君は数学は弱いですが、他の教科は他の生徒と全然わからないですよね。                                           むしろ英語は一番良く出来ていますね。                        

これだけの成績をとっていて岡山大学はもったいないですよ。                                                  せめて阪大法学部に志望大学を上げてみたろどうですか?』                            『えっ、うちの子がそんなに伸びたのですが。                       

 ありがとうございます。                                 

   先生方のご指導のおかげです』                                 

  『いや、これだけ伸びたのはご本人の努力ですよおかあさん』
『とてもありがたいお話なので、家に帰って息子と相談させてもらいますが、                                             岡山大学に落ちたのが相当悔しかったようなので、

その事だけを目標にやっている様子なんです。  

                               

ですからありがたいご提案をいただいても、

本人の気持ちはかわらのとは思いますので、お含みください』                         

母が帰宅後、私は言いました。                               

『こんな遅い時間まで面談って、

一体何を話してたの?』                                        

そして一部始終を聞いてから言いました。                            

『そのとうりだよ。僕は絶対、岡山大学に合格するからね』 

と元気よく言い切りました。                     

こんな体験をもとに

現在E判定からの大逆転合格を目指す生徒を日々指導しています。 

                                  

 令和5年8月13日から15日までロロナに罹患し、

味覚を失って大好きな酒が飲みたくなくなったときに決めました。                         今後の人生の楽しみは受験生の大学受験合格とその後の人生を

見守ることに専念しようと。

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